どうもです。
たかが2年なのになんだか忙しいジョージです。

私事なのですが、なんとなくです。
車の免許をとぼとぼとっています。
同じ日に入校した友人はもう仮免を取得し、そして免許を取得した友人からも馬鹿にされながら
頑張っています。

最近自分の集中力のなさが天敵であることが判明しました。

坂道発進の練習をしていたときに
ハンドブレーキの引き具合が貧弱で車が後退し
先生に「ブレーキ!ブレーキ!」って言われてるのにもかかわらず
めっちゃ近くに来た鳥が目にはいって

「あ。鳥。」

と車後退状態のままバードウォッチングしてました。
案の定先生に「鳥はいいから!」と怒られました。


聞いた情報によるとアルペンの合宿のときには
A部さんはATなのでうちが五十嵐さん号を運転する、ということなのですが

かなり不安です。



とりあえず明日の生物統計の試験と木曜2限の講義の発表を成敗していこうと思います。
そして明日の車の運転も頑張ります。
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2009.06.17 Wed l アルペン l コメント (5) トラックバック (0) l top
「今回を逃すともう後はない。」

どうもこんにちは、廃シャンツェ評論家のF木です。

冒頭のとおり、鬼気迫る思いで、2009年の大学祭最終日に留萌、小平、羽幌駅裏、羽幌築別炭鉱、士別、名寄菊山の6つの廃シャンツェをめぐる弾丸ツアーを敢行しました。
ツアーのメインであった羽幌築別炭鉱ジャンプ台についてレポートします。

羽幌 築別炭鉱ジャンプ台

 50m級、30m級?
【難易度】★★★★★
【荒廃度】★★★★★★
【観光度】★★★★☆

はじめに、羽幌炭鉱の歴史について。Wikipediaによると『羽幌炭鉱(はぼろたんこう)は北海道北西部留萌炭田の中心的炭鉱。1935年操業開始。羽幌本坑、上羽幌坑、築別坑の3地区から成っていた。良質炭を算出することで知られ、大変人気があったが、1970年(昭和45年)閉山。』とある。また『スキー部』の項目では 『笠谷昌生などが活躍。また昌生の弟笠谷幸生も練習に帯同していた。~中略~ また、当時日本では大倉シャンツェに次ぐ規模を持ったジャンプ台も抱え、スキー部の練習はもちろん、大会も行われていた。』とある。
つまり、日本ジャンプ史にとっても名を残す重要な場所である。

今回の目的は築別炭鉱末広町にあったという、「築別炭鉱ジャンプ台」である。築別炭鉱地区は廃線、廃墟、廃校、廃鉱、廃シャンツェと全ての廃○好きを魅了する場所であり、羽幌炭鉱鉄道沿線に残る鉄橋をはじめとした廃線跡や巨大ホッパー、旧太陽小学校の円形体育館などは廃○好きでない人でも十分に印象的なものに映るであろう。
スキー部関係ではたしか去年の夏合宿でI野号が行ってたっけ。

おおよその場所は確認していたものの、季節は6月上旬、すでに山々は緑に覆われ、天候は雨、遠方から肉眼でのシャンツェ跡(ヤグラ)発見はなかなか困難であった。廃シャンツェ巡りはやはり4月~5月中旬頃がベストシーズンであろう。
下は築別炭鉱駅跡地付近から場所の特定の為に撮影した写真である。
どこにあるかお分かりいただけるだろうか?

築別炭鉱駅跡付近から

廃アパート群間の道を通りいよいよジャンプ台へアタックである。

道

ジャンプ台への到達は先日の中山峠ジャンプ台を遥かに凌ぐ困難なものとなった。ところがここで痛恨のミスをする。おおよその距離感でジャンプ台直下あたりのところにきたものの、木々に覆われていたため下からはヤグラ跡が良く見えず、なんとなくの痕跡、斜面の傾斜で山に入った。猪突猛進の勢いで15分ほど上ったが、様子がおかしいことにきづく。斜面が緩やかすぎる。なんと道を100mほど行きすぎ、山を間違えて登っていたのである。あやうく遭難である。これにより体力を大幅に消耗する。
ぬかるみ、野性味溢れる蚊の襲撃、そして行く手を阻む2m級のチシマザサと蔓性植物にすっかり気力まで奪われ、意気消沈してしまい、なかば諦め半分で岐路に着きかけた。
と、そのとき、怪しげな影を発見する。
そのときの写真がこれである。これならお分かりいただけるだろう。

下から

ま、ま、間違いない!!!!
体力、気力とも一瞬で回復
そのときの心境は、パズーが「父さんは竜の巣の中でラピュタを見たんだ。」と言ったときの様だ、とでも言えば伝わるだろうか。

再びアタックである。
突撃すること15分程。
ササを分けて入り、木々の枝にしがみ付き、斜度40度近い「激斜」を登り、そしてついに感動の瞬間を迎えた。


カンテ到達。

カンテ


1960年頃の写真と比べると感動も一入である。

建設から半世紀経っているということもあり、ヤグラの骨組みはところどころ欠落している箇所があった。
カンテ付近は比較的傷みが少なく、念のため(?)登ってみたところ、骨組みには、なんと鉄道のレールが利用されており、鉄道×廃シャンツェのコラボに危うくカンテの上から落下しそうになった。

ふっと横を見ると大シャンツェカンテの横には小シャンツェのヤグラがたたずんでいた。

小シャンツェ


当時3基あったという話であったが小さい方も残っているとはただただ驚きである。
そのときの心境は、動かないロボット兵に対してパズーが「さっきのロボットじゃない!」と言ったときの様だといえば伝わるだろうか。


アプローチ
写真はアプローチ中ほどの所である。
私の身長は169cmであるが、いかに築別炭鉱ジャンプ台が大きかったかということがわかっていただけるであろう。

アプローチ全景
アプローチ全景

建造当時、山奥深くにこれほどの規模のシャンツェを作った羽幌炭鉱の興隆は、人一人いない今の姿からは到底想像できないものである。

これらの写真をもし当時選手だった人たちが見たら、どんな風に思うのだろうか。

この後下山し、興奮冷めやらぬ中、次なる目的地、士別へ向かった。

築別炭鉱跡はかつて住居のあったところも含め地域全体が森にのまれようとしている。戦後日本の復興に多大な貢献をした炭鉱ではあるが、一部の物好きな人々にしか注目されない産業遺跡を、もう少し有効利用できる手立てはないものだろうか。

なお、足掛け5年に渡る廃シャンツェ巡りもいよいよ佳境に入り、残すは北見地方2つと空知各炭鉱跡を残すのみとなっている。そんな私からのアドバイスとしては、廃シャンツェ巡りには少なからず危険が伴うので、集団で行動するなど安全にはくれぐれも留意したほうが良い、という点である。

今回、現地を訪れるにあたり、カラーズネット:羽幌炭鉱写真展、国土計画局:国土情報ウェブマッピングシステムなどのHPを利用した。
また、情報を提供していただいたジャンプ関係者の皆様に対して、この場を借りて感謝の意を申し上げる。
2009.06.09 Tue l ジャンプ・コンバインド l コメント (4) トラックバック (0) l top
どうも初カキコのK党です。

長い冬があけてなんとか就職先が決まりました。先月末に1社から内定を頂いていたのですが、自分の中で葛藤もあり(K党だけに)先日まで悪あがきをしておりました。まあ、そこは残念な結果になり、潔く最初に内定を頂いた企業に行くことにしたわけですが。とにかくそういうことで、今後はよりいっそうジャンプに励み、Nしまを蹴落としてやろうと考えております。心配してくださった方も、どうでもよいという方も本当にありがとうございました。特にジャンプ陣にはいろいろ迷惑もかけてしまい、申し訳ありませんでした。

それでは皆さん明日からの楡寮祭を楽しんでください。
2009.06.03 Wed l ジャンプ・コンバインド l コメント (6) トラックバック (0) l top